江戸時代後期の観相家、水野南北の有名なエピソードとして、風呂屋の三助として3年間働き、人々の裸体(五体)を観察していたというものがあります。
今回、主に手相でありますが、観相家として、体験すべきことだと思い、京都の歴史ある風呂屋、大黒湯にお邪魔して、お手伝いをさせていただきました。

目次
風情と歴史が息づく祇園の銭湯「大黒湯」
京都の風情ある街並み、祇園甲部と宮川町のお茶屋街の南側に位置する「大黒湯」は、古くから地元の人々に愛される銭湯です。芸妓さんや舞妓さんも通うと言われており、花街の日常に溶け込んだ特別な空間と言えるでしょう。
遠くからでも目を引く赤いネオンサインの温泉マークと、油井型の特徴的な煙突が目印です。歴史を感じさせる建物に入ると、番台は前開きの京都スタイルで、柔和な笑顔の大将が迎えてくれます。
【浴場の魅力】

浴場には、山や川、森を描いた西洋風のモザイクタイル絵が壁一面に広がり、壮観です。浴槽は、電気風呂、ジェット風呂、熱めの深風呂、そしてラベンダーやカモミールの薬湯など種類が豊富。
奥には乾式サウナと、掛け流しの水風呂も完備されており、サウナ好きにはたまりません。
大将の竹林さん
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風呂掃除

オケやイスを磨きます。

浴槽や壁を磨きます。

銭湯の裏側、濾過器の清掃・メンテナンス。

お湯を沸かすための燃料を手動で汲み上げます。

トイレ掃除。

コロコロで埃や髪の毛をとり、クイックルワイパーで拭きあげます。

いよいよオープン。番台に座る竹林さん。開店とともにご近所の常連さんが来店。


私も番台に座り、少しだけ接客をさせていただきました。
お金を受け取り、紙には正の字で客数を記録していきます。
水野南北はどんな修行をしていた?
江戸時代の観相家、水野南北が風呂屋で行った修行は、「三助(さんすけ)」として3年間働き、客の裸体を観察し続けることでした。
これは、人相だけでなく、人間の体つきや骨格、肉付き、肌の色つやといった「体相」と、その人の運命との関係を徹底的に研究するための修行でした。
修行の目的と内容
- 職務内容: 三助の仕事は、客の背中を流したり、髪を洗ったり、風呂の湯加減を調整したりする肉体労働でした。
- 観察の実践: 南北は、この仕事を通じて、身分や年齢、職業も様々な多くの人々の裸体を日々観察する機会を得ました。彼は、顔つきだけでなく、全身の相を見ることで、人の運命をより深く、正確に判断しようとしたのです。
- 修行の期間: この風呂屋での修行は3年間に及びました。
この風呂屋での修行は、床屋で顔の相を3年間、火葬場で死相を3年間学んだ修行と並ぶ、南北の観相術の基礎を築いた重要な期間でした。これらの実地での厳しい修行を通じて、南北は後に「食事が運命を左右する」という独自の哲学に至りました。
現代では、水野南北がやっていたように、客の背中を流す、髪を洗うなどはできませが、風呂屋の雰囲気、当時どんな気持ちで修行をしていたのだろうか、より具体的に想いを馳せることができました。
竹林さんの手相
しかし、本命は店主、竹林さんの手相を見ることです。写真の掲載は、笑顔で承諾していただけました。本当にありがとうございます。

竹林さんの右手

小指下から中指下あたりまで、横切る線(感情線)は、先端が薄ら下にカーブして、人差し指と親指の間から横に出る線(知能線)に合流しています。
これは、天下取りの相で有名なマスカケ線と言えます。好きなことには周りが見えなくなる程、とことん熱中する人に多く、その結果、業界トップの人に多く見られる手相です。
竹林さんの左手

左手には、感情線と知能線の間に十字があります。これも人気の手相、神秘十字線で、何かと大難が小難に小難が無難になるような、見えないものに守られている証です。
気になるのは生命線だと思いますが、金星丘が張り出しすぎて、線の刻まれる余地がないようにも見えます。
金星丘は親指下の膨らみで、体力を表すエリア、膨らんでいるほど、人一倍以上のバイタリティがあると言えます。
そのため、生命線の影が薄く見えますが、これだけの力仕事や全国をチャリで旅するような人の何倍ものパワーが十分にあることを示します。
最後に
今回の体験では、風呂掃除という力仕事でありますが、誰よりもマメに隅々まで磨いている竹林さんに感動しました。体験を終え、お風呂に入らせていただきましたが、お湯の綺麗さがレベチで気持ちよかったです。
観相家としての修行はまだまだ続きます...